伯耆大山(大神山)
※ここにて述べる伯耆大山(大神山)についての内容は、正史及び風土記の内容と異なる。また、三次元界の人々の行いと四次元界の神霊の事象が並列に表現されており、抽象的な表現を含む。
鳥取県米子市東部、伯耆富士とも呼ばれる伯耆大山が聳え立つ。ほぼ山頂に位置する大神山神社はその神門のかんぬきが外側に備え付けられているのが特徴である。正史においては、その扉は大山寺西楽院の扉であったものを移動し、大神山神社へと取り付けた際に、外側と内側が逆になってしまったというものであり、本来内側になるべき大神山神社の鍵ともなるかんぬきが外側に位置する様になってしまったというものである。
偶然の間違いで設置されたかの様に内側と外側が逆になった大神山神社の神門。しかし、このそのかんぬきは封じ込めとしての役割を持ち、様々な思念をもつ霊体、さらには神からの分かれでもある方向性を持つ神霊が閉ざされた扉の中に封じられることとなった。物質的にはそのかんぬきは開閉に伴い引き抜かれ、扉を開くことは可能であるが、その封じ込めとしての役割は近年まで引き続いていた。
「封じ込め」という方法は太古から使われてきた厄災をもたらすものを閉じ込める技法であるが、その名の通りそれらを閉じ込めることにより人々及び社会への影響を断つものである。しかし、封じ込められたものは閉じ込められた状態で存在し続けるため、それらが再び表に現れた時その影響力は蘇る。
伯耆大山の位置する日本山陰地方、またその周辺の地域は、太古から日本本来の霊統からなる神霊、またそれらの意思をかけられた人々のすむ地域であった。しかし、曲がり代となるにつれそれらの地域は世を乱す存在に侵食され、真っ当な精神を持つ存在は追い込まれることとなった。さらには、世を乱す存在は山陰地方にとどまることなくその勢力を広め行く流れすらあった。
それらの勢力を抑え込むために立ち上がったのが兄弟となる二神、兄である大広木正宗大神(おおひろぎまさむねおおかみ)及び弟の少彦名神(すくなひこなのかみ)である。大広木正宗大神は悪き思想がそれ以上に蔓延らぬ様に伯耆大山への封じ込めを決心した。しかし、それは悪のみを封じるにはその勢力は凄まじく、同時に善の犠牲を伴うものであり、兄弟二神は苦渋の末その決断に至った。
兄・大広木正宗大神は彼の率いる弟子である善と共に悪を伯耆大山へと導いた。善悪共に大神山神社の内側へと導かれたのち、弟・少彦名神はその側からその神門へかんぬきを持って封印をした。大広木正宗大神は悪を封じ込めるために、その犠牲ともなる善、そして彼自身も同時に封じ込めた。当時猛威を奮っていた悪の勢力を制圧し封じ込めるには、彼自身またその弟子達の犠牲を伴うものであった。封じ込めが完了したのち、弟・少彦名神は鳥取県米子から近年に至るまで伯耆大山を見守り続けてきた。
令和二年十月十一日、その扉は物質的のみならず霊的にも開かれた。また、その扉の霊的な部分におけるかんぬきは消滅し、善悪共に世に放たれることとなった。しかしそれは悪の繁栄を意味するのではなく、真の意味での悪の解消、善の解放の目指す時となったことを示す。
いつの世においても悪はその行動が素早く、解放の後は善に先立って世に出て行った。一方善は、それまでの封印、解放されるまでの時代の流れの余韻への感銘に一次身を置いていた。しかし令和八年一月五日、時代は真実の世に向かっていること、自身がその役割を担うことを自覚し、この自在の代を終焉へおさめるため起き上がった。
